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V.操業時代   ハ. 選 鉱

マムート鉱山は1973年9月より建設を開始し、’75年4月に完成、試験操業を経て同年10月より本格操業を開始したが、操業当初は選鉱部門において多くの技術的問題に直面した。
逐次これらを克服して、マレーシア唯一の大型銅鉱山として、順調な操業が出来るようになった。

選鉱フローの解説・・・・・建設時代の小川永さんの記録より抜粋
1・2次破砕 摩鉱・浮選・精尾鉱 廃滓ダム・補助部門

操業初期(1975〜1976年)
種々のトラブル(大久保さんのアルバムより)
75年4月から試験操業を開始し、以下に示すような種々のトラブルに見舞われたが、10月に本格操業に漕ぎ付くことが出来、11月に日本向けに第1船の精鉱を送ることが出来た。
【操業当初のトラブル】
粘土スライム、サーペンティンが予想以上に多く、雨量が多いことと重なって、ビンの閉塞、クラッシャー・スクリーンの目詰まりで破砕・摩鉱工程の処理量の著しい低下および不安定、それに伴う浮選操業の不安定を招いた。
この対策として、急遽最小限の水洗設備を設置したが、採鉱で比較的スライムの少ない斑岩質ベンチの展開を急ぎ、この出鉱を主とするようになってから操業は安定に向かった。
また、操業開始まもなく延長15.5kmのテイリングパイプラインの磨耗による漏泥が多発し、パイプラインの根本的改修を余儀なくされ、ドロップタンク方式を採用した。ドロップタンクにより高低差を吸収し、ドロップタンクを繋ぐパイプラインの勾配を極力小さくし、流速を落として磨耗を最小にした。
安定操業期に入って、新たに銅精鉱中の水銀含有問題も発生し、選鉱処理上での対策が求められたが、顕微鏡的に含有鉱物が特定できず、選鉱分離は不可能との結論に達した。結局、出鉱管理と精鉱出荷時の調整で凌いだ。
大久保一正 記

パイプラインの漏泥
設計強度不足


粘土鉱

尾鉱シックナー

水銀問題


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操業安定期(1977年〜1989年)
操業が安定するまでに以下のような種々のトラブルに見舞われたが、逐次克服し、初期の計画の選鉱処理量、精鉱品位、選鉱実収率を達成することが出来た。
鉱石処理上のトラブルとその解決 cf. 日本鉱業会誌80年4月、81年5月号
@ 一次破砕の不時遮断
A 粘土鉱によるトラブル
B コンベヤベルト縦裂き等のトラブル
C ロッド絡み
D 尾鉱シックナーのオーバーロードによる停止
E 尾鉱送泥管の摩耗
浮選成績向上策
  @ 酸化鉱と操業PH
A サーペンティナイト
B 機械設備の増強 ・摩鉱給鉱設備 ・浮選フロスポンプ設備 ・精選設備 
・Z-200とAP-3418 ・オンライン粒度測定装置 
原価節減対策
  @ 人件費
A 電力費
B 物品費 ・有利購買 ・使用量の節減 ・適正在庫管理 
’80年頃の課題 
  Au実収率の向上
粗粒摩鉱方式の検討
操業以降の主要改善事項と成績の推移(日本鉱業会誌'82-4号より抜粋)
No. 実施年度 改  善  事  項
1976 尾鉱送泥館急傾斜部分にてドロップタンク採用
2 1977 ジャイレトリクラッシャ・チョーク対策としてバックホー利用
3 ホッパー、シュート等ライナのゴム化開始
4 1978 一次スクリーンを複床普通型リップルフロより単床ロッドデッキ型に変更
5 滑石抑制剤にCMC採用、オートフィーダ、ミキサ採用
6 ITV導入開始
7 1978
  〜1980
ジャイレトリクラッシャ不時停止対策として、瞬間電力記録、エキセントリック・スロ縮小、破砕室形状管理等逐次実施
8 1979 摩鉱原鉱用振動フィーダをベルトフィーダに変更
9 精選系に#60AG浮選機16区増設
10 1980 Au分析装置増強
11 1981 捕収剤をZ-200からAP3418主体に変更
12 消石灰溶解設備・倉庫増強改善
13 摩鉱にPSM導入


選鉱成績の推移(日本鉱業会誌'82-4号より抜粋)
処理量、時間当り処理、稼働率、原鉱銅品位、精鉱Cu品位、Cu実収率
図中( )内数字は、上の表の改善事項該当No.

 受入・一次破砕
  
 二・三次破砕
  
 摩鉱
  
 浮選
  
 精・尾鉱
  
 付帯設備・その他
  

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経営権譲渡後(1990年〜1999年)

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